1. 美しい麻央さん
小林麻央さん、美しい方でした。
その麻央さんの最大の強みは、麻央さんが和装も洋装もお似合いになる美人だったいうことでしょう。その美しさは梨園の妻という最適の場所を得て、まさに輝くようでした。
ここでは、彼女が乳癌であることが決定的になったとき、手術が最も有効な手段であると示されたとき、なぜ麻央さんは手術を選択しなかったのか ....... を私なりに考えていきたいと思います。
女性にとって乳房の全摘出(またはそれに匹敵するもの)を行うことは、大変な苦痛です。けれども、その施術と自らの生命が天秤にかけられたとき、誰しもが観念して施術を選ぶものです。なぜ麻央さんはそれを拒絶したのでしょうか。
当然麻央さんが、まだ31歳とお若く、並外れた美しい容姿をお持ちだったことは、手術を避けようとした大きな一因でしょう。しかし私は、その一因以外に ーー というか、その美しさを保ち続けたいと考えた理由自体に、他の要素を付け加えずにはいられないのです。
2. ライバルの存在
日置明子さんは、1974年2月5日生まれの現在、42歳です。
女性誌「anan」等でモデル活動後、歌手デビューを果たしてします。スタイルも良く多才な女性ですね。写真からは、洗練された大人の美しさを感じます。とにかく雰囲気のある方、と表現したらよいでしょう。
彼女は海老蔵さんとの間に娘ももうけています。入籍されていなくとも、海老蔵さんとは一生涯のお付き合いとなります。
あなたの好きな相手にぴったりとライバルが寄り添っていた場合、あなたは常にその女性を意識しますよね。
けれども彼女がその持ち物( お子様 )も美貌も自分より劣るものであったなら、その存在は気になりません。
3. 初めての劣勢
日置明子さんが出現してからもずっと、小林麻央さんは彼女に圧勝し続けて来ました。 長女の麗禾(れいか)ちゃんの2年後には長男の勧玄(かんげん)君を出産。歌舞伎界における男児の出産は絶対的なものです。日置さんはもう、ご出産される可能性も低い年齢です。
冒頭で述べたように、麻央さんの和洋をこなす美しさは、梨園において水を得た魚のようにしっくりと輝きました。
そのような折の乳癌の発病でした。麻央さんの脳裏には、日置さんの存在が今までにないくらいに強く意識されたのではないでしょうか。
完璧主義の麻央さんだからこそ。今まで負け知らずの麻央さんだったからこそ。
海老蔵さんはおモテになるので、「何となく女性の影が心配」というのと、「実際に子をなした女性が存在している」のとでは、意識の仕方が違います。
乳房を失う訳には行かないのです。
4. 海老蔵の存在
プライドの高い麻央さんは、正直な内心を海老蔵さんには伝えなかったでしょう。
一方、真っ直ぐで少年のような海老蔵さんには、麻央さんの心中が見抜けなかったのかもしれません。
あの時海老蔵さんは、
「乳房を失ったとしても、麻央だけを心から愛している。それは変わることがない。」と言って麻央さんを強く強く抱きしめてあげれば良かった。ただそれだけで良かったのだと思います。
5. 死の間際に
麻央さんが死の間際に言い残したという
「愛している。」という言葉は、
実は、海老蔵さんが麻央さんに言って欲しかった言葉なのではないでしょうか。
海老蔵さんの何処かに残る悔いの念。治療法の選択を誤って美しい妻を死なせて行く悔いの念です。
その悔いを拭い去るには、
「( それでも ) 愛している。」の一言が必要だったのではないでしょうか。
6. 2人の愛
お互いを大好きだったからこそ、お互いを失いたくなかったが故に、麻央さんは手術を拒否されたように思われてなりません。
ダイアナ元王妃やジェームズ・ディーンように。美しいままに亡くなった方々が永遠に美しい姿を留め続けるように、麻央さんもその姿を海老蔵さんに残し続けて欲しい、と願います。
心よりご冥福をお祈りいたします。