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お喋りなNana 生活や芸能

生活や芸能を考察・分析して得た猿知恵をお話します 🐵

【米津玄師】死と『Lemon』解説 〜歌詞編〜

米津玄師の歌う『Lemon 』この楽曲は大ヒットの一方で、その歌詞とPVの難解さに触発され、多くの人々がその解釈に挑むこととなった。今回、ナナ🐵猿ノ介が解釈決定版を贈ろうと思う @(//_//)@ ← なに大見栄切ってんの〜。アワワ。

1. 『レモン哀歌』におけるレモン


まずは米津玄師自身が『Lemon 』という楽曲に影響を与えたと言及している、2つの文学作品を見て行こう。


1つは高村光太郎の『レモン哀歌』である。


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高村光太郎と妻の智恵子


この時妻の智恵子は病魔に侵され、
認識も混濁しつつ
「死」に向かっている。死の床にてー

わたしの手からとつた一つのレモンを
あなたのきれいな歯ががりりと噛んだ
トパアズいろの香気が立つ

なんとも鮮烈なレモンの香気。

その数滴の天のものなるレモンの汁は
ぱつとあなたの意識を正常にした

死の直前に正気を取り戻す智恵子。
そうして智恵子は死を迎える。

写真の前に挿した桜の花かげに
すずしく光るレモンを今日も置かう


遺影の側に置くレモンは、
作者光太郎にとって
「光」をもたらすものとなる。


「光」とは、
最愛の智恵子の死に見舞われながらも残る《希望》の象徴である。



2. 『檸檬』におけるレモン


文学といえば、
梶井基次郎もずばり「檸檬」という題の短編をものしている。
こちらは「死」に対し「檸檬」が更なる破壊力を発揮しているように思う。


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梶井基次郎


主人公であり梶井基次郎自身でもある男は、
肺病を患い微熱を感じながら、
京都の裏道を散歩している。と ……

(肺病に侵され死を予感して)始終私の心を圧えつけていた不吉な塊がそれ(= 檸檬 )を握った瞬間からいくらか弛ゆるんで来た

のである。
檸檬の冷たい感触を確かめながら、
以前よく通った丸善へと入って行く私。
 

そうして丸善
紡錘形の檸檬を置き去りにして
ある空想に耽る。


その空想とは、
私が去った後、紡錘形の爆弾と化した檸檬が大爆発を起こし、
京の街も(死というもの自体も)木っ端微塵にする、
というものだった。



3. レモンと死


この2作品を眺めてみるに、
どうやらレモンは、
(その独特の形と)明るい輝くような黄色から、
「死」と対峙するもの、
いっ時であれ「死」を封じ込めるもの、
として扱われて来たきらいがある。


更に『檸檬哀歌』においてレモンは、
「死」という絶望を昇華した先にある《 希望 》となって輝くものにまでなっている。


レモンは《 希望 》という永遠性を手に入れ
「死」と対峙して行くことになるのだ。


@(🌀_🌀)@ ジョーク入れる隙がなくて限界でち。← … と言いながらひと息つくナナ🐵猿ノ介 ← 姑息な奴 w


それでは
米津玄師の『Lemon 』を聴いて行こう @(_ _)@.。o○ クカーッ!← ダウンするなー!




4. 米津玄師の『Lemon』

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熱唱


米津玄師は、『Lemon』の最後で、
Bメロ的サビというか、
サビに変化を入れながら
実際に恋人とレモンを分かつ実景を歌っている。
歌全体を補足する為に実景を明らかにしている、と言った方が適当か。


「あの日のー悲ーしみさえ あの日のー苦ーしみさえ
そのすべてをー愛ーしてた あなたとともにー

胸に残ーり離れーない 苦いーレモンの匂いー
雨がー降りー止むまでは・帰れないー

切り分けたー果実のー片方ーの様ーにー
今でもあなたは・わたしーのーひかーりー


「(智恵子が)レモンをがりりと噛んだ」

「紡錘形の爆弾(= レモン)を残して来た」

「(あなたと私とで)切り分けた果実」
という実景があるからこそ、
レモンという果物の持つ強さが際立つのである。


そうして楽曲『Lemon』の中でも、
それは実景だけに止まらず、
レモンの持つ象徴性へと移行して行く。


切り分けたレモンの眩しい黄色は
「今でもあなた」を「私の光」と感じさせる。
私の永遠の《 希望 》として「あなた」は生きる。

5. 米津玄師


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しかし、米津玄師の『Lemon』において
レモンの意味合いは、「生きて行く為の《 希望 》」のみに止まらない


「胸に残ーり離れーない 苦いーレモンの匂いー
雨がー降りー止むまでは・帰れないー」


この部分は、『檸檬哀歌』で智恵子がレモンをがりりと噛んだ時の
トパアズ色の香気が立つ」を思い起こさせる。


「トパアズ」とは光の加減によって、橙色から黄色、緑へと様々に色を変える宝石である。


一転して《 死 》の象徴となって歌われるレモン。


確かに視覚でなく嗅覚に頼った時
レモンは苦い「死」の匂いを放つ。


同じ果実の持つ2つの象徴性
「死」と「光」
対峙する2つの象徴性を歌い上げた
米津玄師は凄まじい。


「死」はその瞬間のものだけではなく
「光」となって永遠性を有するものとなる
… と、
髪に隠れた右目が語っているようにも感じた。


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「死」と「光」


それでは、 ドラマ「アンナチュラル」の主題歌です。← (//_//) 私は見ていませんでした。← (||_||) この発言、まずいんじゃね?
行きましょう!米津玄師(よねづけんし)『Lemon』♩
youtu.be


【米津玄師】死と『Lemon』解説 〜PV編〜 は
⤵︎ こちらに書いてありますので、宜しければどうぞ〜 (//_//)
www.tatazumai.space


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