米津玄師『Lemon 』PVの中に込められたメッセージを読み解いて行きます。まずこれで間違いはないと思いますよ。フッフッフッ!@(//_//)@ ← 何?この意味のないエバリンボは? ← 遅すぎる反抗期?← ギネスだよギネス w
1. ハイヒール
PVの初見から、
188㎝ の米津がかなり高いハイヒールを履く風情は、
かっこ良くていいな … と思った。
立ち上がってもいいけれど、← ちょっと「だんだらぼっち」っぽいかに?
長い脚を折り曲げ
座っている方が様になる。
ハイヒールの趣向は米津自身が、
ある日見た夢に想を得て取り入れた、
と述べているから、それに決まりだ。
2. 夢
米津の見た夢の要旨を
以下かいつまんで述べて行こう。
昔夢で見た光景があり、
そこは誰かの葬式の会場である。
会場には様々な人たちがいて、その中の1人が自分だ。
自分はいろんな列を待つなどしている。
…… と、ある人が急に指笛を吹き始めた。
周囲にいる誰も、その突飛な行動の意味を
理解できない。
(夢の中でそれを)自分がどう思ったかというと、
亡くなってしまった人と、指笛を吹く人との間にある
なんらかの合図のような行為だと感じた。
で、それはものすごく美しいことだなと思った。
だから、亡くなってしまった人と、
自分との間にある、他の誰がわからなくてもいい。
2人の中だけでわかるようなものが、そこにあればいい。
PVでは、ハイヒールが指笛の役割を果たしていると米津は言う。
PVに一貫して登場する女性と米津扮する青年は、同じ真っ赤なハイヒールを代わり番こに履く。
亡くなった後も彼女と青年の心とは繋がっているのだ。
3. 『Lemon』と文学作品
米津玄師は『Lemon』の制作にあたり、
高村光太郎の「レモン哀歌」と梶井基次郎の『檸檬』の影響を受けたと語っているので、
これについては前回考察した。
⤵︎ @(//_//)@ こちらをご覧くださいまっせ〜。お手間おかけします。ヘコヘコ。
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両文学作品は、
「レモン」の持つ明るい「光」の中に
生命力に繋がり得る《 希望 》を見て取っている。
しかしそこに米津は
苦い《 死 》の香りも嗅ぎ取るのだ。
同一の対象物から
対立関係にある2つのものを感じ取る
…… というのは余り例を見ない。
米津が天才と呼ばれる所以である。
4. 次元
PVに話を戻そう。
まず亡くなった恋人を模したような女性が現れ、
不気味な 芸術的なダンスを踊る。← 前衛芸術の特徴は不気味であること w @(//_//)@ ← さすが猿。率直すぎる発言連発。
では、あの、国籍がばらばらである10名は何だ。
踊る女性(=亡くなった恋人)側か、
悲しみの青年側か。
答えは、
踊る女性も10名の人々も
全て夢の世界の人物なのだよ。
何故なら、
青年(= 米津玄師)は1度も彼らと目を合わせない。
彼らの存在は無視、というか、目に入っていない。
途中、
踊る女性が米津に急接近して来て手を伸ばす仕草までするが、
米津はスルーするー。← @(//_//)@ スミマセン。
別の次元にいる彼らと全く交わることなく
青年は自らの想いに籠ったまま
教会のベンチに腰を下ろしている。
「白昼夢」というのをご存知かな?
上記した通り、PVは
「(自分の見た)夢」から想を得た
と米津は語っている。
夢とは
" 実景と象徴の中間" にあり、
『Lemon 』のテーマである " 死の世界 " と交わる次元にあるものだ。
踊る女性も10名の外国人等も
"死の世界"から来て戻って行くかのように
青年の白昼夢に現れた人々だ。
よって、現実の世界の出来事ではない。
それでは実景(= 現実の世界で起こっていたこと)は何だ。
PVの最後
筆記体で書かれたLemonの文字と近くて見えにくいが、
教会の後ろのベンチに(踊る女性が座っていたベンチに)
白い小さな花束が置かれていることに気付いただろうか?
教会に1人訪れた青年が、
亡くなった女性に花を手向ける
………光太郎が智恵子の死後、レモンを手向けたようにー。
事実はこれだけだ。
非常にシンプルなものに美は宿る。
そして単純明快さというものは実は難しい。
見破ることもだが、
想を得て作り上げることの難しさよ。
やはり米津玄師は天才だ。
@(//_//)@ それではPV行きましょうか。
先程は失礼なことをもうしあげましたけれども、ダンサーの方々、お見事です♩
米津玄師『Lemon』
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