『風立ちぬ』と変声期疑惑。聖子ちゃんの可愛くて切なげな歌唱法が顕著になって来たのもこの辺り。タイトルの意味も考えてみました。
1. 『風立ちぬ』
『風立ちぬ』は、1981年10月にリリースされた松田聖子の7枚目のシングルである。
作詞:松本隆、作曲:大瀧詠一 という実力派による楽曲だ。
デビューが山口百恵の引退直後となり、『ポスト百恵』の旗印の下に、2曲目の『青い珊瑚礁』でブレイク。聖子はまさに、飛ぶ鳥を落とす勢いである。
楽曲を手がけるメンバーも、そうそうたる名を連ねて行くこととなる。
2. 『風立ちぬ』の意味
さて『風立ちぬ』
古文で表されたタイトルである。
「立つ」は(風などが)起こる。吹く。の意。
タ行四段活用動詞であるから、「立ち」は連用形。連用形接続の助動詞「ぬ」は〈完了〉で「( 既に) 〜 た。」と訳す。ということから、
『風が吹き過ぎて行ったわ』くらいの意味か。
↑
@(//_//)@ ちょっ!詰まらない品詞分解している内に、訪問者9割離脱だウッキー!
そ …そうだ。
このタイトルから先ず思い起こされるのは、堀辰雄の代表作である中編小説「風立ちぬ」であろう。あらすじは、軽井沢で出会った2人が恋人となり、重い病に侵されていた女性の静養先、富士高原のサナトリウムに恋人の男性がひっそりと付き添う、というものだ。
〈風景描写の美しさ〉と〈生への問い掛け〉が際立つ小説である。
このタイトル『風立ちぬ』を付けた時点で、松本隆の頭の中には、堀辰雄の小説「風立ちぬ」が背景として流れていたことは、まず間違いがないであろう。
A. 楽曲『風立ちぬ』の舞台も、小説と同じ、軽井沢・富士高原のような場所を思い起こさせる。
B. 小説中の有名な一節「風立ちぬ いざ、生きめやも(風が吹きすぎたわ。※ さあ、生きて行きましょう。)」が、恋人に別れを告げ次の人生を生きようとする内容の楽曲『風立ちぬ』とシンクロする。
※ この口語訳は文法的には成り立たないが、小説の文脈上はこの口語訳に収まる。定説もこの口語訳。
聖子なら、上記のような重層的な歌詞を、深みを持たせつつ爽やかに歌いこなせると考えたのだろう。いや、芯を持ったお嬢さんのイメージを持つ聖子が先にあって、上記の重層的な発想がなされたのかもしれない。
3. うまさ ①
「か・ぜ・立ちぬー
いまぁはぁ秋ー
きょうから私ぃはー
こーこーろーのーたーびぃびーとーーー」
伸びやかな歌唱から入るこの歌は、本当に秋の風が吹き抜けたように感じさせる。
そうして
「きょうから私は心の旅人」 = 私の意思で恋人から離れて行くのよ、と来る。
…… のだがっ、この〈美しい強がり表現〉が心を打つのだよ〜 ← こういう恋愛をしたいね @(//_//)@ ← 猿🐵山においてもw
「涙ー顔ー 見せたくなーくてー」
次だっ!
スミレ ひまーわりー フリージーアー」
ここで、なんでいきなり3種類の花の名に続けられるの?← 天才だから。← 天才に文脈なしw
しかもスミレ( 春 )・ひまわり( 夏 )・フリージア( 早春) ← 季節バラバラ
語感が大切ってことだね。
ここで秋の七草唱えられてもね〜
「はぎ おーばなー くずのはーなー」← (//_//) ……私的にはオッケーよ。← そんなバナナ🍌
かくも作詞家 松本隆はうまいのだが、
「風が吹いた」ので、別れる決意ができたのよ。そうして別れの手紙は
「風のーインクでーしたたぁめーていまぁすー」
だから、これはまさしく風の歌。
4. うまさ ②
聖子ちゃん、歌唱を短めに伸ばす時、長めに歌い上げる時の末尾処理などがとても丁寧で、更にうまくなったなぁ、と感じさせる。
そうしてここで光るのが聖子ちゃんによる〈切なさ歌唱〉だ。
サビ
「風立ちぬー 今ぁはぁ秋ー
帰りたい・帰れなぃ」
この「ぃ」が甘えるように鼻に抜け、短くフッと途切れるように歌われる。表情、切ない瞳で画面からこちらを見る聖子ちゃん。
この「ぃ」を10回でもリフレインされたら、誰もが参っちゃう。
(//_//) ぃ♩(//_//)ぃ♩(//_//)ぃ♩…… ← 何も感じないぞ〜 どうした〜?
こういう言わば〈新歌唱法〉を生み出して、
最大限の効果が上がるように歌唱できるのが、聖子ちゃんのうまさなのである。
5. 変声期疑惑
松田聖子が『風立ちぬ』を発表し各TV局で歌っていた時、丁度年末年始番組の撮影が重なり、いつも声の調子が悪かった。
今回YouTubeで探し、その中でも松田聖子の声のコンディションが良いものを選んだつもりだが、それでも声がかすれている箇所があり、高音部はいつもより明らかにファルセットを使い、声の不調をカバーしながら歌っている。
実はこの曲を境に、松田聖子の声には微妙なハスキー(かすれ)が加わるのである。それが声の酷使によりそうなったものだか、変声期が不規則に訪れた結果だったのか、議論が巻き起こったように覚えている。
肝心の声質は、以前より味わいが増して良くなったと、音楽関係者も絶賛していた。私もそう思った。
堀辰雄の小説の世界に聖子ちゃん風アレンジを加えたものを歌っていたのだとしたら、豪華キャストに堀辰雄まで加わって、透明感のある格調の高い楽曲を、「あの」松田聖子が歌っていた、と言える。何とも夢のようなコラボだ。
それでは行きましょう。
聖子ちゃんの切ない「さよなら」をお聴き逃しなく〜。← 淀川長治氏の「サヨナラ、サヨナラ、サヨナラ」とはまるで別物です。← 私もよく知っているよね〜 ← 悲しい … w
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